2019年5月18日 amazarashiのワンマンライブに初参戦した。
僕がamazarashiを知ったのは、2015年夏アニメ「乱歩奇譚」のOPテーマ曲「スピードと摩擦」だった。
当時は、いい曲だなぁ~くらいのフワッとした感想を持ったくらいで、amazarashiというバンドの存在を軽く認知した程度だった。
※何で季節は次々死んでいくじゃないねんっていうツッコミには答えかねますので何卒ご了承ください
あれはいつだっただろうか。
何気なくyoutubeで「夏を待っていました」という曲を聴いたのだ。
その曲のおどろおどろしい歌詞と、唸るような歌声が生み出す世界観に一気にハマり、毎日聴くようになっていった。
「穴を掘っている」を聴いたとき完全に好きになった。
あまり歌詞とかを気にしない人間なのだが、amazarashiの絶望の中に一筋の希望を見出すかのような展開を見せる歌詞は、メッセージ性に溢れまくっていてとても響いた。
如何様にも解釈ができる歌詞もあって考察をしたり見たりするのも楽しい。
(難しいので8割方理解してないけど)
~amazarashi LIVE TOUR@新潟テルサ~
そんなamazarashiが僕の地元新潟に来た、当然参加だ。
開演ギリギリくらいに会場につき、更に中でウンコをしたので席に座ったのは開演1分前。
余裕を持って入場することができた。
予想通り、お客さんは誰一人として立っていなかった。
僕も勿論”いつものように”席に座り、静かに観賞させていただいた。
amazarashiのライブは、何かを訴えるような”言葉”の羅列を音楽に乗せて、プロジェクションマッピングのような映像演出とともに楽しむ、言うなれば一種の体験型アトラクションのようだった。
ステージに張られた垂れ幕には、曲ごとにその曲のMVだったり、MVが無い曲でも歌詞が映し出された。
きっと、秋田ひろむは一曲一曲余す事無くファンにも初見さんにも自分の言葉を伝えたかったのだろうな、なんて勝手に思ったりした。
いかんせん歌詞がうろ覚えな僕はとても助かったし、こんな歌詞だったのかぁ…となり、更に好きになった曲も出来た。
ここからは個人的ハイライトを上げていきたいと思う。
・光、再考
ラスサビあたりで暗かったステージが白い光に照らされた演出には息を飲んだ。
amazarashiの音楽性を象徴するようなステージが観れたな、と思った。
・空に歌えば
オタクなので無事多動!w
その後スタッフにつまみだされてfin
(イントロでビクンッってなっただけです)
・たられば
この曲めっちゃ好きなんですよね
もしも僕が~のところの歌詞が毎度映像に映されていたが
「もしも僕がミュージシャンだったら~」
の部分のみ歌詞が表示されなかったのが個人的に良かった。
僕がこの曲で最も好きな歌詞であり、この曲で唯一秋田ひろむが自分語りするような部分で、客全員のヘイトが秋田ひろむに向けられるのだ。(そういう意図があったのかどうかは知らんけど)
・ひろ
曲前の語りでこの曲が来ることはすぐに察することができた。
秋田ひろむ自身の思い入れが特に強い曲だと僕は勝手に思っている。
今は亡き親友に、最初は苦しそうに、最後はどこか楽しそうに語りかける姿には心を揺さぶられた。
amazarashiが気になるという方には、是非聴いてもらいたい曲だ。
とまあざっとこんなとこ、何か思い出したらまた追記します。
amazarashiのライブ、いや、これはライブと呼ぶよりも一つの大きな追憶体験のようなものだった。
非常に心を揺さぶられたし、いい体験ができた。
「このライブはすぐに終わります。なんにでも終わりは来ます。でも終わりがくれば、また始まりが来ます」(超うろ覚え)
秋田ひろむが言うと説得力が凄い。
終わりゆく物語を紡ぐ上で、そこに何かを残したいという強い意志を感じた。
僕自身、最近「当たり前だと思っていたことは当たり前なんかじゃない、終わりはいつか来る」といった事を全身で理解したので、彼の語りはド直球に響くのだ
”当たり前にやってくる明日なら「生きたい」なんて言わなかった”
この先amazarashiのライブがあったらまた参加したいし、楽曲ともっとしっかり向き合いたいと思った。
生で聴きたい曲も山ほどあるしね。
来週は毛色が180度違うPENGUIN RESEARCHのライブに行くのでこれまた楽しみだ。
なんか日記みたいなブログになってしまったので津田健次郎のラジオの「日記かよ!」のコーナーにメール送ることにした。
おわり。